今回は08月12日から08月17日にかけての6日間の通作・移住・テレワークでした! 「天候に恵まれまして」と言いたいところですが、これだけ暑いと「恵まれて」というのが不適切のようにさえ思われてきます。だからそれは、ほとんど「降雨に邪魔されずに」という意味以外の意味をもちません。実際、15日はあまりの暑さに午後の作業は取りやめさせていただきました!
それよりも何よりもまず初めに怒りを込めて(悲しみを込めて!)報告しなければならないことは、畑に駆けつけてみてまず目にした、前回、2列に渡って播種した青大豆の62株すべてが発芽せずの結果に終わったという悲しい報告です。やはり、1昨年産の種子だったてことが原因のすべてということでしょうね。つまり、カラスやハトにつまみ食いされた形跡はまったくなかったということです。ただ、芽キャベツ5株とオクラ6株はしっかり根付き、元気に育っていました。マリーゴールドもまだまだ小さいですが、すでに花を咲かせていました。
●2020年08月12日(水)
16:00−18:30
□上の畑新しいうね立て
青大豆の発芽がゼロをふまえて、早速、つぎの作物の播種に備えて同じ青大豆の2つの列を崩して1本の溝を掘って施肥(バーク堆肥、発酵鶏ふん)して、1本のうねを立てました(これを上第1のうねと呼ぶことにします)。
●2020年08月13日(木)
07:30−10:30
□上の畑の耕起、畑周りの手入れ
16:30−18:30
□荒れ地の草刈り、池の周りの草刈り
6月27日、7月30日につづいての草刈りですから、草丈も短く作業は楽なものなのですが、それでも1.5アールの面積の草刈りには時間がかかります。暑さとの闘いでもあります。
《はたけ通信》には今後もしばしば“池の周りの草刈り”という作業名が登場することになると思いますのでここでこの池について【特集V】で簡単に説明しておきたいと思います。
●2020年08月14日(金)
08:30−10:30
□上の畑のうね立て
3列から4列、溝堀りをして、そこにバーク堆肥、発酵鶏ふんを施肥して、それを薄く土でカバーするという作業でした。
昼からは休養で、町内横川渓谷の蛇石を見に行きました(観光というほどたいしたものではないのですが、一応、町内の観光名所ということになっています。
●2020年08月15日(土)
08:30−10:30
□下の畑、土壌改良剤の散布、耕起
下の畑、全面に苦土石灰(土壌改良剤)を散布しました。その後、同様に全面、耕起です。
昼からは、避暑のため休養にしました。
●2020年08月16日(日)
07:30−09:00
□下の畑の畑回りの手入れ
16:30−18:00
□池の中4本の杭を打ち込む、“深み”の泥出し
その意味については【特集V】を参照してください。
18:00−19:15
□下の畑のうね立て、施肥
手入れされた下の畑に1本のうねを立てました。まず溝を掘って、施肥して(バーク堆肥と発酵鶏ふん)、その上に、うねを立てるという作業です。暗闇が迫っていましたが、何とか完成させました。長さは9.8m、幅は0.55mの1本です(これを下第1のうねと呼びます)。
*今回の農作業は全体として、次回の播種、定植に向けての畑の下ごしらえ、と位置づけることができます。
【特集V 石積みの朽ち果てた池】
上の畑の南側に接して約1.5アールほどの広さの産業用の池があります。産業用という意味は、庭園の一部としての池ではなく、という意味です。この屋敷には住居と庭の間にもう一つの庭園の一部としての池があるのです。この地域には、かつてささやかながら養鯉業が成り立っていまして、家々に小さな池がありました。現在はつぶされてしまったか、ほとんどのものは縮小されて、周囲もコンクリートで固められて、池というよりは“水槽”といった方がふさわしいようなものに姿を変えてしまっています。そのなかで昔の姿をとどめて生き残っているこの池のたたずまいと、この池への思い込みを紹介するためにもっともふさわしいのではないかと思い、一篇の詩を末尾に掲げさせていただきました。この池についてはいずれ写真でお示しします。
かつてお蓮さんという祖母が300貫(1 125kg=3.75kg×300貫)の食用の鯉を水揚げしたという数字が語り継がれています。1トン強ですからねえ、ものすごい生産力ですよね。現在も水深50cmの水量をたたえていますが、住んでいるのはかなり大きな成魚が16匹、小さいものは数え切れません(それほど多く、という意味ではなくただ単に数えることがむずかしいという意味です)。
16日の作業について説明しておきます。この池には2m×3m程の“深み”があるのですが、これは鯉が冬越しのために“巣籠もり”する場所として設けられたものだと思います。子供の頃はこの“深み”は恐かったですね。冬には水面が凍りますから、まあ備えとして必須のものとされていたのだと思います。実際のところはどうなんでしょうね。でもたしかに、厳冬の頃には鯉は冬眠ではないとは思いますが、ほんとにじっと寒さに耐えているように見えます。
それで16日の“杭打ち”はこの4すみに角材を打ち込んで、11月末頃までにはそこに発泡スチロールを固定するということになります(昔はわらで編んだものを載せていました)。まあ1年間に埋まった泥を掻き出して、水深50cmよりさらに深い場所を鯉さんたちに提供して、より安全に冬越えしていただくというねらいです。
2020年10月10日 記
石積みの朽ち果てた池
その池は荒れ果てた屋敷の奥深くに広がっていた
それは父から引き継いだガラクタ資産の一つだった
その池はかつては養魚池として産地を支え
かけがえのない生活の糧を稼ぎ出していた
はるかに時を隔ててすでにその生産力のすべてを失い
それは無用の長物のように無残に横たわっていた
ある夏の日
ひまにまかせて周囲の草を刈りこみ
流れをよみがえらせると
その池は宝物のように光り輝き始めた
今それは村々にあってただ一つ生き残った池として
野趣豊に誇らしく横たわっている
蒼き池の端にたたずんでその長き歴史を想う
ただわけもなく涙あふれるままに
2017年09月01日 K
写真を貼付いたします。
真ん中の囲いがこのたび設置した
鯉さんたちの冬の巣籠もり場所です。
